伊東市議会 2021-03-02 令和 3年 3月 定例会-03月02日-03号
観光施設整備に係る事業につきましては、老朽化している伊東公園の公衆トイレの建て替えを行い、公園利用者の利便性向上と本市のイメージアップを図るとともに、通学橋設置に尽力され、新千円札の肖像画に選ばれた北里柴三郎博士の功績を顕彰する観光案内看板を整備し、本市の歴史文化を市内外に発信してまいります。 次に、観光誘致と同様に停滞している中小小売業の振興策及び中心市街地の活性化策についてであります。
観光施設整備に係る事業につきましては、老朽化している伊東公園の公衆トイレの建て替えを行い、公園利用者の利便性向上と本市のイメージアップを図るとともに、通学橋設置に尽力され、新千円札の肖像画に選ばれた北里柴三郎博士の功績を顕彰する観光案内看板を整備し、本市の歴史文化を市内外に発信してまいります。 次に、観光誘致と同様に停滞している中小小売業の振興策及び中心市街地の活性化策についてであります。
また、令和6年に発行が予定されている新千円札の肖像として、通学橋を建築、寄贈するなど、本市に大きな功績を残された北里柴三郎博士が採用されていることから、博士を顕彰する観光案内看板を整備してまいります。
7 政府から2024年上半期を目途に紙幣一新を行うことが発表され、新千円札には、伊東市と縁の深い「北里柴三郎博士」の肖像が採用されたことから、これを大きなチャンスと捉え、本市における博士の業績の顕彰について、積極的に取り組むべきと考えるが、いかがか。 四 宮 和 彦 君 ……………………………………………………………………………… 34 1 市長の特命施策について、以下4点伺う。
政府から2024年上半期を目途に紙幣一新を行うことが発表され、新千円札には、伊東市と縁の深い北里柴三郎博士の肖像が採用されたことから、これを大きなチャンスと捉え、本市における博士の業績の顕彰について、積極的に取り組むべきと考えるが、いかがか伺います。
日本にペストが上陸した明治32年、北里柴三郎博士は、それまでペストを知らない日本で、ペストがはやったら大変なことになると、ドイツのコッホ博士とともに日本政府に進言したことは、全ての家で必ず猫を飼うべしというものであります。
伊東には北里柴三郎や最近公開する方向と聞いている東郷平八郎の別荘、または石坂洋次郎や阿久 悠宅などなど、現存しているものは少ないのですが、著名人の別荘または自宅などが数多くあります。そして、そこで書かれ、世の中にもよく知られた有名な文学や書画などもあります。しかし、まだ埋もれてしまっている資源もあるのではないでしょうか。
特にミュージカルでは、市民約90人参加の創作ミュージカルとして公演をして、結核治療と細菌学の研究に多大な業績を残された北里柴三郎先生と伊東との深いかかわり合いを知ることができ、また伊東に対して大変な貢献もされた先生であります。多くの入場者に感動をしていただいたと思っております。
また、それによって、市民の方々――この間も国文祭におきましても、木下杢太郎先生、また北里柴三郎先生、そういう方々のミュージカルとか音楽祭、そういうものをやったときに大変認識も高まってきておるわけであります。また新たに今回、大室山のスコリア丘が指定をされれば、認識もまた新たになってくるわけでありますので、逐次、文化、歴史、また教育、そういうものにも活用をしていかなければならないわけであります。
また、現在の温泉地としての形成につながることとして、明治末年ごろ次第に保養地としての名声が高まり、北里柴三郎、東郷平八郎、若槻礼次郎など著名人の別荘が多数構えられ、市内の旅館には木造3階建ての建築が取り入れられて、多くの来遊客に対応する温泉地伊東の姿が形成されていったことなどの記述からも、当時の伊東に住む一人一人のたくましく、また活気あふれる生活がイメージとしてわいてまいります。
今回も国民文化祭で北里柴三郎先生、あるいは木下杢太郎先生を取り上げております。また、宇佐美においては中村敬宇先生、こういう方たちについて、まず子供たちが知ること、そして伊東市に誇りを持つことが高い志をはぐくむことにつながっていくのではないかと思います。
そういう中では、それをいかに知らせていくか、また、自分たちがそういうことを知るかということの意味では、学校関係、特に子供たちに伊東で生まれた木下杢太郎さん、また、伊東に別荘を持った偉人、北里柴三郎博士、こういうような方を改めてお知らせする、また勉強するというようなことの意味合いも大きくあるのではなかろうかと思うわけですが、この点についていかがでしょうか。
伊東の場合には、木下杢太郎先生、北里柴三郎先生の、地域に目覚めたものを、伊東市で実行委員会をつくって、地域でそういうものをはぐくんで、ミュージカルなど、地域の人たちが参加して、地域で演出をしていくということで、名前は国民文化祭になっていますけれども、そこらによって、県のほうが補助金をくれることになっているわけであります。
本市の事業は2つのテーマで実施されるもので、郷土の偉人、木下杢太郎の業績に多角的に光を当てる「文人・医学者木下杢太郎の世界」と、「湯のまち伊東の温故知泉」の事業の中で、伊東に別荘を構え、通学橋や伊東線の開通に大きく尽力をされた北里柴三郎博士を紹介するものが主体のテーマで、世界的にも高名な2人の医師を取り上げ、展開されますが、具体的な事業として、木下杢太郎合唱祭、デザイン大賞、ガイドツアー、北里柴三郎
芸術・文化の振興につきましては、市民一人一文化を掲げ、地域の香り高い文化を創造するため、芸術祭などを通して芸術・文化の向上、振興を図るとともに、静岡県で開催される国民文化祭しずおか2009では、伊東にかかわりの深い木下杢太郎先生と北里柴三郎先生を顕彰してまいります。
その間、県主催事業や市町の主催事業が行われるわけですけれども、伊東市では「文人・医学者木下杢太郎の世界」としまして、木下杢太郎合唱祭、木下杢太郎デザイン大賞、木下杢太郎ガイドツアーが、また「湯のまち伊東の温故知泉」として北里柴三郎ミュージカル、湯のまち再発見ウォーク、街かど音泉隊が行われることになっております。これらの取り組みについて、もう少し詳しくご紹介してくださればと思います。
明治時代の末期から保養地として有名になり、北里柴三郎、東郷平八郎など著名人の別荘が市の中心地にあったことは、別荘地としての顔の古さを物語っています。また、同じころから市内には旅館が建ち並ぶようになり、伊東線の開通による旅客数の増加とともに、観光地として発展しました。 これまで本市は、昭和、平成の時代を通じて国際観光温泉文化都市を標榜し、観光による発展を志していたように思われます。
2つ目としては「湯のまち伊東の温故知泉」という事業で、伊東に別荘を構え、二度にわたる通学橋の再建や伊東線の開通に大きく尽力をされました北里柴三郎博士を紹介するミュージカルの上演や、湯のまち再発見ウォーク、また、ウォークに合わせて街角でミニコンサートを開き、伊東にちなんだ曲で来遊客をもてなす街かど温泉隊なども行ってまいります。
また、通学橋に関しても、同書の「伊東の歩み年表」に出てきますが、平成8年度版までは1915年(大正4年)北里柴三郎博士の力で通学橋開通と書かれていたものが、平成9年度版以降、その記述がなくなっています。さらに、通学橋に関しては、市のホームページに「こどものページ」というのがあり、その中の過去の年表で大正4年を見ると、「北里柴三郎博士の尽力により通学橋開通」と書いてあります。
平 沢 克 己 君 ────────────────────────────────── 80 1 伊東(旧伊東町)に対する北里柴三郎博士の並々ならぬ尽力をどのように評価しているか。また、その功績をたたえ、市民に知らせるとともに、観光にも生かすべきと考えるがいかがか。
伊東市議会議長 山 本 猛 様 常任福祉文教委員会 委 員 佐 藤 美 音 記 1 陳情第4号 財野間文化財団清和寮(野間別荘)取り壊しに対し保全と活用を求める陳情 野間別荘は、伊東がかつて漁村であり、農村であった中から北里柴三郎博士